百済の金の髪飾りと日本の扇形簪 ー 清州・公州で辿る、東アジアの美の源流
- vitviby
- 12 分前
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先日、韓国の清州(チョンジュ)と公州(コンジュ)を訪ね、百済文化の面影を求めて歴史博物館を巡る旅をしました。
この地域は、古代朝鮮半島に栄えた百済王朝(紀元前18年〜660年)の都が置かれていた場所。
なかでも、百済の王や貴族たちが身につけていたとされる金の髪飾りや耳飾りは、今なおその優美な意匠と高度な技術によって人々を魅了しています。

百済の簪に見た「時を超える美」
展示されていた髪飾りのひとつ、「金のかんざし(王・国宝)」は、真ん中に蓮花の蕾の形をした頭がついており、二枚の翼を広げたような扇形の胴体に、下部は鳥の尻尾のように3本に分かれ長く伸びたデザイン。
精密な打ち出し文様が施され、繊細でありながらも荘厳な存在感を放っていました。
この装飾は、単なる美しさのためではなく、「身分」や「祈り」、「生命の象徴」といった意味も込められていたと考えられています。
また、王妃の墓から発見されたという金の耳飾りは、複数の金環を連ね、葉やペン先のようなモチーフが揺れる構造もあり、動きに伴って輝くその姿からは、当時の人々が装いに込めた「動的な美」への感性もうかがえました。

日本の「扇形鼈甲簪」とのつながり
百済の髪飾りを目にしたとき、真っ先に思い浮かんだのが、日本のフォーマル簪である「扇形の鼈甲簪(べっこうかんざし)」です。
江戸時代には留袖や黒紋付きの礼装に合わせて広く用いられたこのスタイルは、現代でも結婚式や成人式、七五三などの場で親しまれています。
その優雅に広がるシルエットと、装飾性の高い意匠は、百済の金属製髪飾りに見られる「扇状」や「植物モチーフ」の意匠と共通点を多く持っています。
古墳時代〜飛鳥時代、日本は百済や新羅と密接に交流し、多くの職人・工芸技術・仏教文化を受け入れました。
とりわけ百済は、「日本の文化的父」と称されるほど、初期の日本文化形成に深く関わった国です。
つまり、日本の簪文化の源流の一部は、百済の装飾文化にあるといっても過言ではありません。
髪を飾るという感性の普遍性
この旅を通して強く感じたのは、「髪を飾る」という行為が、どの時代、どの土地においても個人の尊厳や祈り、美意識の象徴として存在していたということです。
金属であれ鼈甲であれ、素材が変わっても、その本質的な意味は変わらない。
Orinuvaの簪やヘアアクセサリーも、そうありたいと思っています。
ただの装飾ではなく、その人の時間や物語に寄り添い、時を超えて受け継がれていくような存在。
遠く離れた国の博物館で、そんな思いを改めて胸に刻んだ旅となりました。
