静かな年明けに、東北で見つめたこと
- vitviby

- 1 時間前
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年始の旅で訪れた東北。
日本三景・松島から足を運び、心に深く残ったのが、円通院にある三慧殿でした。
一見すると、仏教建築の中に、どこか異国の気配を感じさせる装飾。
その存在は、強く主張することもなく、しかし確かに、空間の奥に静かに息づいています。

よく目を凝らすと、洋バラやダイヤ、スペードなどの西洋的な文様が意匠の中に描かれていることに気づきます。
三慧殿に見られるこれらの意匠は、当時、キリスト教への警戒が強まる中で、表立って語られることのなかった異文化の痕跡でもあったと知りました。
排除するのではなく、かといって、全面に掲げることもせず、あくまで自分たちの美意識の内側へと抱え込む。
その在り方に、日本文化特有の、とても繊細で成熟した感覚を感じたのです。

伊達政宗は、ヨーロッパへと人々を送り、異国の文化や価値観に実際に触れさせ、それらを持ち帰らせた人物でもありました。
けれど、彼が選んだのは、異文化に染まることでも、力を誇示するために掲げることでもありませんでした。
異文化を、自分たちの文脈の中で受け止め、咀嚼し、日本の文化として組み直していくこと。
私がものづくりで大切にしたい感覚として、伊達政宗が選び取った「文化に昇華する姿勢」に、大変心を惹かれています。

その後に訪れた 福島県会津若松市にある‟御薬園 ”の庭では、雪吊りに差し込む冬の光が、とても印象的でした。
豪華さではなく、整えられた静けさ。
余白の中に、季節と時間が重なっていく感覚。
東北の奥行きある雪景色には、視覚から生まれる感覚が、どこか心の余白のようなものを与えてくれる力があるように感じます。
何かを足すことで生まれる美ではなく、抱え込み、静かに内に育てていく美。

Orinuvaが大切にしていきたいのも、まさにこの感覚です。
受け継がれてきた日本の文化を、形や表現は時代に合わせて変えながらも、その核心は変えることなく。
異なる文化と出会ったとき、自分たちの文脈の中へと丁寧に組み込みながら、次の時代へ、そして国境を越えて伝えていくこと。
年のはじまりに、東北の静かな風景の中で、改めてその想いを確かめる時間となりました。



